人気ブログランキング | 話題のタグを見る

8月15日という日


先日8月15日に参拝してきました、靖国神社。
終戦記念日とされているけど 、俳優の向井理さんが言うように決して「記念日」ではないと思う。
この日に参拝したのは実は去年が初めてで、
去年この日に参拝した時今まで特に参拝の意識もしなかったことに痛切に反省した。


平和。
口では簡単に言える理想論。
国際情勢の認識も持たず戦争を知らない私達が思い描く理想論は、凄く空虚なものに感じる。
軍事バランスやリアリズム無くして
簡単に「love & peace」を掲げるのは好まない。

平和は尊い。
でも、当たり前にあるものではない。
いわゆる平和憲法が護ってくれるものでもない。
拉致、領土侵略を目の前に、平和憲法のもと何もできない国日本。


人生を掛けてこの国の平和を護っている、護ろうとしている人がいる。
それは過去においても同じだと思う。


戦争は酷い。残虐だ。これは理解できる。

でも戦争が「悪い」とは一概には言えない。
もし65年前、日本人が私情を殺して戦っていなかったら今頃日本はあったのか。
今のように自由な生活ができるのだろうか。


「唯一」の被爆国が1996年まで行われていた
中国共産党によるウイグルにおける46回の核実験で
約20万人(広島の被害に匹敵)のウイグル人が亡くなっていることを追及もしない。

核は悪いと言いながら、それが東京に照準を合わせていようとも
隣の国の核の脅威を正しく伝えず、備えの無い上にある平和。

今現在も目の前で武力によって国を奪われ文化や家族を奪われているチベットやウイグルの人達に「戦いは悪いよ。話し合いで解決を。」と言えるのだろうか。


綺麗事を並べ立てたところで平和は訪れるものではないと思う。


戦争は悪い、武器や兵器はこんなに残虐なんだと煽るのもいいけど、「なぜ」戦争に至ったのかが語られることは滅多にない。
当時の国際情勢、日本の置かれた状況は?

この国の言論空間は封鎖的だ。


事実私も二十歳以降に知った。
これも親が清水 馨八郎氏の本を薦めてくれたことをきっかけに、
戦後教育の歪みに気が付く事が出来たからなんだけど。

それから自分なりに学び直し、
それまで漠然と感じていた歴史への違和感や欧米に対して感じていた違和感が一体なぜなのか、
一本の線がつながるようにすっとした。



8月15日の靖国神社は今まで感じたことのない、見たことのないものを見せてくれる。
そして同年代が本当に多い。友達同士も恋人同士も家族も本当に多かった。

あの暑い中80~90歳以上と思われるお爺さんも見かける。
杖をついて汗びっしょりになりながら。
毎年鳥取から来ているという70歳の方にも出会った。
胸には拉致問題の解決に向けてのアピールの意を込めたブルーリボンバッジが。


去年神社で出会った旧兵士の89歳のお爺さん。
この一年何回か手紙のやり取りをして、今年は奥様も一緒に再会できた。
当時満洲方面へ陸軍に所属し出兵。終戦後日ソ中立条約を破って侵攻してきたソ連軍、中国共産党の前身となった八路軍に囲まれ激戦。

お爺さんは15日以降亡くなっていった戦友の方に特に想いを馳せられているようだった。
出兵時はご自身も靖国神社で出兵式をされたそうで。
お爺さんの手紙に、「今の自由が誠に羨ましい事です。」とある。


国のためにと志願して戦った人も嫌々行った人もいる。
そんな方達の人生の上にある今の日本と私。


正しく歴史事実を知るのは大切だと思う。

あ、テレビで知るのはお薦めしません。 (偏ってるからね。)

是非お薦めしたいのが敷地内にある遊就館。
ここに展示された当時の兵隊さんの遺書には驚かせられます。

その精神性に。


ここに訪れると自分が本当に小さく馬鹿馬鹿しく思える。
恥じないように歩んでいきたいと改めて思った一日でした。

会ってくれたお爺さんと奥様にも感謝です。

8月15日という日_d0176620_2146572.jpg
(写真は神社のHPからお借りしました)
by macottonmaco | 2010-08-17 21:52 | 日々


<< 食欲に向かないパスタ Hanakoと阪神百貨店梅田 >>